倉賀野宿→高崎宿(十三/六十九)日本橋から110㎞(行程6㎞)

大都会高崎にも、中山道の名残はあるものです。田町絹市場跡は、今では素敵な飲食店が入っています。旧山源漆器店も、重厚な蔵造りの建物が時代を見つめていました。

長松寺には狩野派の絵師が描いた江戸時代の龍の天井画が残っています。このあたりは珍しく道幅が狭く曲がりくねっています。中山道の面影を残したくて拡張には応じていないと、話をした地元の方が言っていました。醤油の醸造所の事務所も、開業当時の江戸時代のまま残っていました。

途中信州街道を分けます。江戸時代に作られた追分の案内石が残され、流れるような文字で「くさつみち」と書かれています。この宿には本陣も脇本陣も置かれなかった代わりに、上級武士や公家が休んだり食事をとる「茶屋本陣」があり、公開されていました。

碓井川の土手近くにある一里塚跡を過ぎると、高崎といえばだるまですね。たくさんの工房がそれぞれに個性豊かな顔のだるまを作っています。両目が入り役目を終えただるまは少林山達磨寺に奉納され、最後には丸い灰となっていました。小さなだるまを買って帰りました。